「平安あれ」  06,04.23
           ヨハネ20:19〜29
 「平和があるように」と、主イエスはおっしゃってくださいます。
 ただの挨拶ではなく、宣言として、こうおっしゃってくださいます。
 この「平和」は、ただ争いがないことではありません。神から
与えられる平和、平安のことです。そして、それが与えられるのは、
神さまが共にいてくださるからです。「神さまがあなたと共にいて、
守り、支えてくださる。あなたに平和、平安を与えてくださる。」と
宣言してくださるのです。私たちはこのことを信じて、生きています。

 復活された主イエスは、ご自分を見捨てて逃げ出した弟子たちの
ところに現れました。弟子たちは、自分たちが見捨ててしまった
主イエスが目の前に現れた時に、恐れて恥じ入るのでなく、喜んだ
というのです。主イエスが十字架の傷を見せながら、彼らに平和の
宣言をしてくださったからです。弟子たちは、主イエスの十字架に
よって、自分の罪が取り除かれたことを知らされました。
 罪のあるところには、神さまからの平和は与えられません。
 しかし、罪の赦しのしるしである十字架の傷ゆえに、自分たちにも
神さまから平和が与えられることを知らされたのです。それを知ら
された弟子たちは、心から喜びました。

 その場に居合わせなかった弟子のトマスは、復活されたイエスさま
のことを聞いても、信じませんでした。何を信じなかったのでしょうか。
 彼は、主が復活されたことよりも、十字架によって自分の罪が許された
ことを信じることができませんでした。だから、十字架の傷を見、そこに
触れることを求めました。トマスは熱心な弟子でしたから、主を見捨てた
自分を赦すことなどできませんでした。自分を責めていました。
 赦しを求めることは、不誠実だと考えていたでしょう。そのトマスにも、

 主イエスは現われ平和の宣言をしてくださいました。
 そして、「罪赦されたことを信じる者になりなさい」とおっしゃって
くださいました。
 この言葉うを受けて彼は、生きられるようになりました。